下総鋏(羅紗切鋏)


下総鋏

羅紗切り鋏の元祖である故・吉田弥十郎師は通称銘を弥吉とし安政六年、江戸千住の鍛冶の家庭に生まれ、十二才で某刀鍛冶に弟子入りしました。関東牛刀の欄でも示した通り明治維新の最中のこの時代、廃刀令で刀の制作が出来なくなり、主に植木鋏を造っていたこの頃に欧米からラシャ布が大量に輸入され、これと共にラシャ切り鋏も輸入されます。

この頃より入谷に住居を構えた吉田弥十郎師は、この鋏を基にして研究を始め、日本刀の鍛錬技術を応用して現在の鋏の姿を創り上げました。これが日本におけるラシャ切り鋏の始まりです。

後年、銘を弥吉とし、鋏の製作に専念。兼吉や現在でも有名な長太郎、与三郎といった優れた弟子も多数養成し、弥吉印の数多くの逸品を世に出して明治三十四年、四十二才の若さで亡くなりました。現在も東京近辺で製作されるラシャ切り鋏は東鋏と呼ばれ、弥吉の正統な系統となっており、日本におけるラシャ切り鋏の品質においては他県で造られている商品の追随を一切許さない物となっております。

一昔前は家庭の必需品であり盛んに造られていたラシャ鋏ですが、現在では家庭におけるラシャ鋏の必要性は殆ど無くなっており、それに合わせて、市場での需要も急激に低下しています。職人サイドにおいては、後継者育成の意欲はあってもラシャ鋏の市場や、将来性を考えた時の不安から、現実には弟子をとられる状態にはなく、今現在後継者がいるところもほとんどありません。また職人さんたちの高齢化も進んでおり、東京のラシャ鋏の伝統は今や憂慮すべき問題となっております。

千葉県、中でも松戸市に於いても、ラシャ切り鋏は盛んに造られていましたが、今現在活躍されているのは北島和夫先生(平三郎)だけとなってしまいました。