金切り鋏は古称を切り箸といいます。一般的には余り馴染みの無い鋏ですが、読んで字の如く、鉄板やブリキをまるで紙を切るように切り裂く鋏です。主に車の板金屋さんや建築現場などで使用します。
この鋏の起源も筆者勉強不足により詳細はわかりませんが、鉄板を板金加工する技術の始まりと密接に関係していることは言うまでもないと思います。やはり、明治期以降東京を中心に関東地方で広く造られていたようです。特に東京には久光、茂盛光(当時は盛光)、山上光等多数の職人さんが活躍しておりましたが、現在東京で総火造りしているのは茂盛光を残すのみで残りの殆どは地方で造られております。
さて、明治の初期に創業された久光ですが、大正時代に2代目が千葉県館山市に移り、現在では矢矧幸一郎先生(君万歳久光)が総火造りによる制作に精を出しておられます。茂盛光、君万歳久光ともに板金業者さんの間ではこの鋏の右に出る鋏はないといわれています。
さて、この君万歳久光という銘の語源ですが、矢矧先生よりお借りした資料によると、明治38年、日露戦争において野木将軍が難攻不落といわれた203高地を攻略しようとしたとき、ロシア軍が張り巡らせた頑強な鉄条網に阻まれて進軍できなかったそうです。
そこで、この鉄条網を「久光の鋏」で切断して、見事、日の丸を掲げることができたそうです。この時以来、銘を君万歳久光と称するようになったとのことです。
やはり用途によってサイズや形がたくさんあります。変わった物では波板用の鋏やパイプ切りなど、その形は様々です。
しかし、近年では車も板金はせずにリサイクル部品に丸ごと交換してしまったり、建築などでもコスト、時間削減のため、大量に同じ形に裁断することが多くなり、活躍の場が少しずつ減っているようです。この鋏を使いこなせる職人さんも徐々に減っていくのでしょうか。